皆さん、こんにちは。コマさんです。
大阪の中で、「堺」という町があるんですね。
ここは古墳や刀や刃物などの伝統産業、日本の歴史に関係するものがたくさんあります。
先日、堺にある「さかい利晶の杜(りしょうのもり)」というところに行ってきました。
ここは、千利休と与謝野晶子のミュージアムなんです。
それではどんなところかご紹介します ('◇')ゞ
「さかい利晶の杜(りしょうのもり)」
千利休と与謝野晶子は、もちろん皆さんご存知だと思います。
ところでなぜここが、このふたりのミュージアムになっているのかというと…
このお二人は、共に堺生まれという共通があるからなんですね。
千利休の利と、与謝野晶子の晶をとって「さかい利晶の杜」となったわけです。
生まれた時代は違うお二人ですが、生まれた土地はともに大阪の堺。
さて、この記念館は2階建てになっています。
1階が千利休の記念館で、茶室もあるので茶の湯も体験できます。
茶の湯の体験は別料金なのですが、私が行った時も女性の方々が体験されていました。
2階は与謝野晶子の記念館となっています。
与謝野晶子の代表作「みだれ髪」などの本の装幀(そうてい)や、与謝野晶子にまつわる様々なものが展示されています。
また、夫である与謝野鉄幹と出かけた、旧満州と内蒙古(中国)の旅にまつわる展示もやっていました。
千利休と言えば「わび茶」
千利休は戦国時代から安土桃山時代を生きた茶人です。
年代で言うと、1522年から1591年の時を過ごされました。
千利休は、今井宗久(そうきゅう)と津田宗及(そうぎゅう)の3人で天下三宗匠と呼ばれました。
千利休と言えば「わび茶」を大成させたことが有名です。
これは、利休の師匠である武野紹鴎(じょうおう)が説いた「不足の美」がもとになっています。
「不足の美」は不完全だからこそ美しいという禅からきているものなんですね。
不足していることが、逆に価値を生み、心が満ち足りるという、日本人ならではの美意識。
利休は茶の道具だけでなく、茶室やお点前の作法にも取り入れ、これ以上何も削れないというまで無駄を削りました。
そして千利休はわび茶を大成させたと言われています。
しかし、豊臣秀吉が好んだのは黄金のキラキラ。
その黄金の茶室も復元されていました。
織田信長と豊臣秀吉に仕え、大切にされた千利休でしたが、最後は秀吉の命で切腹させられ生涯を閉じました。
与謝野晶子は12人も子供がいた!
千利休が生涯を閉じてから約300年後、同じく堺に生まれた与謝野晶子。
1878年から1942年の明治から昭和にかけて生きた女性です。
与謝野晶子は、和菓子屋の「駿河屋」の三女として生まれました。
代表作は「みだれ髪」や「君死にたまうことなかれ」などがありますね。
そして、妻子ある与謝野鉄幹と知り合い、恋に落ちてやがて結婚します。
鉄幹は前妻と離婚をし、晶子との間に12人の子供をもうけるのです!
それにしても、このような時代に略奪婚とはさぞかしスキャンダルだったでしょうね~。
仲の良い夫婦ではありましたが、与謝野鉄幹の収入は少なく暮らしに困ることも度々あったようです。
それでも、与謝野晶子は懸命に働き、鉄幹を支え12人の子供たちを守りました。
スランプに陥った鉄幹をフランスに行かせたり、そのあとを追って自分もフランスに行ったりする晶子。
いつも情熱的で、自分の気持ちをはっきりと出し、常に行動力があったわけですね。
12人の子供を育て上げ、強い母であり妻であったわけです。
もし、与謝野晶子が今の時代を生きていたならば、どのような人生を過ごしたのでしょうか。
与謝野晶子の行動力は私もぜひ、見習いたいところです (^O^)/
おしまいに
このさかい利晶の杜の横には、「千利休屋敷跡」があります。
屋敷がそのまま残っているわけではありませんが、千利休がここに住んでいたと思うと感慨深いものです。
日本において、有名なお二人がこの大阪の堺に住んでいたのかと思うとなんだか嬉しくなりましたね~(笑)
私もおふたりと同じ大阪人なんやわ~ (*´▽`*)
<さかい利晶の杜>
入場料:大人 300円、高校生 200円、中学生以下 100円
茶の湯体験:大人 500円、高校生 400円、中学生以下 300円
住所:大阪府堺市堺区宿院町西2-1-1
電話:072-260-4386
休館日:第3火曜日、年末年始
アクセス:阪堺線 宿院駅より徒歩1分
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。