皆さん、こんにちは。コマさんです。
今回は大阪の「茶臼山」をご紹介したいと思います。
茶臼山は前回ご紹介した「天しば」のある公園につながったところにあるんですよ。
また、茶臼山は歴史的にも有名な場所なんです。
それでは「茶臼山」についてご紹介します。
徳川家康と真田幸村と言えば
皆さんは、歴史はお好きでしょうか?
歴史がお好きな方ならば、この「茶臼山」はピンときたことと思います。
そう、今回ご紹介する「茶臼山」はとても有名な場所なのです。
茶臼山は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳川家康が本陣としたところです。
そして、慶長20年(1615年)大坂夏の陣では、真田幸村が本陣にしたところ。
夏の陣では、真田幸村が徳川家康の本陣を攻め、家康も死を覚悟したと言われています。
「真田は日本一の兵(つわもの)」と呼ばれたそうです。
そのような激戦が繰り広げられた茶臼山。
しかし、今では静かで緑も多く、穏やかな落ち着くところとなっています。
茶臼山とは
茶臼山は名前のとおり「山」なんですよ。
と言っても標高はたったの26メートル。
わずか数分で、すぐに頂上に到着します。
この山は、天しばから歩いて、天王寺動物園、大阪美術館を過ぎるとすぐに着きます。
茶臼山に行くには池があるので、和気橋(わけばし)という橋を渡らねばなりません。
その真っ赤な橋は、周りの緑に映えてとても美しい橋なんですよ。
橋の前方に見えるのが茶臼山です。
この和気橋を渡ると階段になっていって、登っていくと頂上に到着します。
頂上には、真田幸村に関することが書かれた看板などが設置されています。
その中にはこんな看板もありました。
茶臼山は26メートルの山ではありますが、すぐ近くの一心寺で「登頂証明書」がいただけるんですよ。
登頂証明書をいただけたら記念になりますね。
実はこの茶臼山は、5世紀ごろの前方後円形古墳という説があるんです。
しかし、古墳には必ずあるはずの、葺石(ふきいし)や埴輪が1986年の発掘調査の時に発見されませんでした。
このようなことから、古墳であるかどうか現在も断言できないようです。
またほかの説では、和気清麻呂(わけのきよまろ)が、上町大地を横断する堀川を掘った名残が河底池と言われているんですね。
その時に掘り出した土を積み上げたものが茶臼山という説もあるそうです。
先ほどの真っ赤な和気橋(わけばし)はこの和気清麻呂にちなんでつけられました。
真田幸村の最期の場所
さて、この茶臼山で活躍した真田幸村は、茶臼山から徒歩8分ほどの「安居神社」で最期を迎えました。
この安居神社は、少彦名神と菅原道真がご祭神の神社です。
真田幸村は、大阪夏の陣で徳川家康と戦ったあと、安居神社にたどり着きました。
そして、この神社の松の木の下で討ち取られたと言われています。
ただしこの「さなだ松」と呼ばれている松の木は、現在2代目だそうです。
(下の写真の真ん中の木が「さなだ松」です)
真田幸村最後の地というだけあって、この安居神社には真田幸村にまつわるものがたくさんあります。
記念の銅像も2009年に作られました。
私が訪れた時は、大河ドラマの真田丸の出演者の方が書かれた絵馬もありましたよ。
この安居神社も静かで落ち着く神社でした。
おしまいに
今回は茶臼山と安居神社をご紹介しました。
このふたつの場所は、いずれも真田幸村にまつわる有名な場所です。
茶臼山の頂上では、かつて徳川家康と真田幸村が、ここで戦ったんだなとしばし思いにふけるのでした。
今では近くに、天しばや動物園、美術館もできています。
徳川家康と真田幸村が、現在のこのような場所になったのを、もし見ることができたらなんて言うのでしょうか。
こちらは、茶臼山側から見た通天閣です。
大阪には、市内にこのような歴史にまつわる場所もあるので、歴史好きな方にもぜひ来ていただきたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。